彼女に振られた。そこで感じたこと、学んだこと。

今回はとても情けない記事になる。彼女に振られて、それから感じたこと、学んだことを綴っておきたいと思う。もはや完全に自分のために書き留めるだけの文字であり、ブログに書くもんじゃないでしょ?と思ったりもする。

ただなんとなく、誰かに見えるところに書く。ということで自分の想いを整理したり、次に進めそうな気がするんじゃないか。そう想ってキーを運びます。

今回感じたこと

得ることよりも与えること

そもそも恋人という関係は、仕事のように「計算」の上に成り立っているものではなくって、この人と一緒にいたい。という理屈で表現できない気持ちの上に成り立っている奇跡のような関係なんだと思えた。

そして、好きってなんだろう。愛するってなんだろう。ってすんごい考えさせられた。

相手を想い、何か自分にできることはないだろうか。そういう気持ちで相手に自然と寄り添えること。何かを得ようと相手に求めるのではなくて、ただ相手のことを想い、能動的に自分から与えられるもの。それを探してつくっていくことが愛なのかなって思えた。

何も得られなくなるよりも、何も与えられなくなる方が辛い。そう思った。

与えるというとどこか上からでは?と感じるかもしれないけど、ここで言っている与えるというのは上からとかそういうものではなくて、「相手の心に寄り添おう」という気持ちを行動に移した状態だったり、何かモノやコトだったり、そういう形のことをまとめて与えると言ってる感じ。

相手に寄り添うとする行為を遮断されてしまうことほど辛いものはないと思った。無関心って本当にこわいものだ。

そう思いながら振り返ると、もっとこうできたのではないか、なんでもっと相手の気持ちを考えられなかったのかって想うことがたくさんあって、ダメじゃん俺ってなってるのが今。

自分は良いと思っていることだって、相手からするとそれが良いことなのかなんて分からない。寄り添おうとしていたつもりでも、それは一方的に自分の価値観や要求を押し付けているだけってこともあると分かった。相手を想う気持ちと、相手の気持ちを考えられる想像力、あたたかいコミュニケーションが大事なんだと学んだ。

思っていること・考えていることは伝えないといけない

思っていることは言葉にして伝えなきゃダメ。なんてことはこれまで生きてきた中でなんども聞いてきた言葉。その意味や大切さをこれほどまでに実感したのは初めて。

僕自身割と自分でなんでもやってしまおうと想うタイプの人間で、コミュニケーションを必要最低限に止めようとするところがある。「考えていることが分からない」とか「本音の部分が分からない」とか言われていても、あんまりそれを気にしたことがなかった。

でもそれってめっちゃ傲慢というか、孤独というか。逆に相手がそうだったらどう感じるだろうか?という想像力が完全に欠如したバカ野郎だと分かった。(振られた相手のことを非難しているわけではなくて、自分を省みて。)

恋人という関係だって一つの人間関係なので、自分と相手はまだまだお互いに知らないところだらけで、お互いに歩み寄っていこうとする姿勢が大切だと分かった。そのために自分にできることは、きちんと自分の思っていることや考えていることを伝えること。うっとうしいと思われるかもしれないけど、その短期的な衝突を流して関係を続けていると、長期的に良くなっていくことはないということ。

喧嘩するほど仲が良いという言葉の意味が良くわかった24歳←。

折れてしまわないことが大事

そして、別々の人生を歩む異なる二人が関係を続けていくのだから、そこにはたくさんストレスがある。一緒にいたいと想うことがあれば反対に、顔も見たくないと想うことだって絶対ある。

その時に大切なことは「折れてしまわないこと」だと思った。劇作家の平田オリザさんが言っておられた言葉で、「コミュニケーションで重要なのは切れてしまわないこと」という言葉がある。

伝えようとしたことが伝わらない時、認識にずれがあるがなかなか理解してもらえない時、決してコミュニケーションを諦めてしまってはいけない。というニュアンスの言葉です。コミュニケーションにしても人間関係にしても、「勝つことより負けないこと」「続けるという意識よりやめてしまわないという意識」が大切だと学ぶ。

終わらせてしまうことは簡単だけど、時にそれはとっても冷たくて、そこには愛がない行為なのだと思えた。その場しのぎで相手にただただ合わせて場をやり過ごすことも、自分は良いと思っていても実はとても無機質で傲慢な態度だと反省した。

長い付き合いや人生には山あり谷ありいろんなことがあるのが当然。良くない状況にある時にこそ、愛を持って寄り添える心と強さが欲しい。

本当に大切なものは何か

振られてみて、本当に大切なことにきちんと目を向けていられたか?と自問した。

与えているつもりで何かを求めている。傾聴しているつもりで何かを主張している。そういう自分が多々いなかっただろうかって。プライドや欲を捨てて、全力で相手のことを想えていただろうかって。

自分をさらけ出して、とにかくできることをやってみる。こういう姿勢を大事にしたいし、きっとその先にしか本当に大切なものは手に入らない。まだまだ自分はカッコ悪いと痛烈に想う。

何かを失うと、同時に大切なものに気づく

好きな映画の一つ「歩いても 歩いても」で「いつもちょっと間に合わない」というセリフがある。大切なことに気がつくのがいつもちょっと遅い。ということなんだけど、まさに僕もいつもそうだなと思う。

失った今、相手の良いところがこれまで以上にたくさん溢れてくる。普段からもっともっとそういうところに目を向けられていたら。なんてことを想う。恋愛だけではなくて、自分の周りにある大切なモノやコト、人に心を寄せられる人でありたい。

モンゴル800の小さな恋のうた『ほら、あなたにとって、大事な人ほどすぐそばにいるの♪』という歌詞を聞いて、マジそれ!ってなってなんだか泣けた。

また、自分が沈んでいる時、声をかけてくれる人や心配してくれる人がいるということの有り難みを知る。周りにいてくれる人たちの優しさを改めて実感することができる。何気なく触れているモノがめっちゃ愛おしく思える。(昨日、公園に置いてあるパンダの椅子でさへ愛おしく思えた。笑)

やさしく丸い心でいたい、大切なモノへの感謝を忘れない人でいたい。

おわりに

あれこれと書いてはいるけれど、この2日間ほどほぼ寝ずにいろいろと考えてみて、僕はやっぱりまだ好きだと思えた。潔く諦めて次に行こう。みたいな気持ちにはまだなれなくて、そんな簡単なもんじゃないという気持ちが自分の中でかたまった。←

もう少し、想っていたいと思う。最後に今の気持ちだけ伝えたい。誰かを想えるってそれだけでしあわせなことなんだろうなと思うし、それを行動に移せるならそれほどしあわせなことはないと思う。すんごい一方的な話になるのかもしれないけれど、後悔のないようにしたい。never give upですボク。

未練たらたらで女々しいやつ。と言われるよりも、全力でやりきったのか?と聞かれてYES!!と言えない自分の方がヤダ。もうちょいちゃんと頑張れオレ。←
 
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もしもここまで読んでくださっている人がいたらありがとうございます。反動的なテンションでブワッと書いてしまいました。最後にも書いた通り、振られたという事実と、まだ好きだという自分の気持ちを素直に受け入れて次に進みたいと思っています。最後までお読みいただきありがとうございました!

p.s.
この間にいろいろと内省していて、ブログで何を伝えていきたいのか?みたいなところが見えてきたような気がします。これについてはまた書きます。今後ともどうぞよろしくお願いします。

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