遺された人の悲しみを描いた物語『再会の街で』

こんにちは。元気が出る映画の感想・レビューを綴っている宮田です。本日は映画「再会の街で」についてご紹介させていただきます。この映画は9.11で愛する妻、娘を亡くした夫を描いた「遺された人の悲しみ」を切り取った物語です。

再会の街で あらすじ

この物語は、9.11の同時多発テロで愛する妻と娘、愛犬など「家族」を失った男「チャールズ」と、悲しみに飲み込まれているチャールズを救おうとする大学の同級生「アレン」の物語です。

チャールズは事件で家族を亡くして以降、政府からの慰安金や生命保険を使うことで家にこもり、ゲームをしながら暮らす。事故のことは考えないように、思い出さないようにしていたチャールズは、誰とも口を効こうとしなかった。

そして彼は妻との最後の会話がずっと心に残り、台所のリフォームを永遠に繰り返していた。アレンが辛抱強く寄り添うことで、少しずつチャールズの心が回復していく物語です。

再会の街で 感想

「明日死ぬかもしれない」には2つある

今日、本や講演などいたるところで「明日死ぬかもしれないから今日を精一杯生きよう!」というメッセージを見かけます。この考えには僕も賛成で、明日が来るかは分からないつもりで今日を全力で生きたいと思っています。

これは「自分が明日死ぬかもしれない場合」ですよね。

もう一つ大切なこと、それは「大切な誰だって、明日死んでしまうかもしれない。」ということです。

この映画では「事故」ですが、人は誰だっていつかこの世から亡くなる時が来るわけで、自分の大切な人とだって必ずどこかでお別れの時が来るわけで、その人と交わす最後の言葉があるわけで。

そう考えると、大切な人と過ごす時間、大切な人への想い、接し方、いろんなことを省みる自分がいました。想いは伝えておきたい。

「ありがとう」と「ごめんなさい」、「愛してる」。きちんと伝えたい。言葉の一つ一つを大切にしたい。そう思えた瞬間でした。

おわりに

以上、映画「再会の街で」についてでした。僕自身、母親を亡くしているので、遺された側の気持ちというものに感情移入できるところがありました。「亡くなってしまったらもう、何も伝えられない。何も聞くことができない。」

頭では分かる簡単なことだけれど、その重要性を理解することって難しかったりします。僕ももっと伝えておきたかったこと、聞いておきたかったことがたくさんあります。

それらを後悔しても仕方がなくて、大切なことは今、そしてこれから大切だと思える人に同じ過ちを犯さないこと。大切な人に「大切だ」と伝えられる自分でいたいと思えた映画でした。

それでは、本日もここまでお読みいただきありがとうございました。

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