24歳にして思う生きる意味『人は誰かに生きる勇気を与えるために生きている』

生きる意味

世界の人口は70億人。

今この瞬間に僕がいなくなったところで世界は明日も変わらず回っていく。

普段見ているテレビ番組も、家の前のラーメン屋も、駅でいつも立ち寄るカフェも、何事もなかったかのように通常通り回っていく。

70億人のうちの一人の存在なんて、とてもちっぽけで、世界に与える影響なんてミジンコ以下でしかない。

でもそれでも僕たちは生を授かり、今日を生きる訳ですよね。

ふと「生きる意味」を考えることがあります。今でこそ僕なりにその答えを見つけて毎日頑張っていますが、学生時代や社会人になったばかりの頃は良く考えていました。

実際Googleで「生きる意味」と入力すると「生きる意味 わからない」と出てきたりします。

ぶっちゃけ考えたって答えなんて無いし、正解なんてないのだろうなと思います。

がしかし、考えることに意味はあって、その時々、自分の頑張る目的になったり、行動指針になったりします。

今日は久しぶりにいろいろと考えたので、「生きる意味」について僕の思うところを書いてみたいと思います。

生きる意味

生きる意味について考えている、なんてことを友人や会社の人に話すと「病んでるの?」という流れになるので、なかなか普段はこういう話を出したりしません。

が、はじめに書いておくとこれは別にネガティブな感じで生きる意味について考えているのではなくて、せっかく生きるのだからその意味を見出した状態で歩みたい。というどちらかというとポジティブな状態ですので、あらかじめご了承を。

散々、生きる意味について考えた学生時代でしたが、あるコミックの中に出てきた考え方が自分の中にバチっときて、以来それが僕にとっても生きる意味となっています。

そのコミックというのは「宇宙兄弟」で、心に響いたセリフがこちらです。

 
誰かに「生きる勇気」を与えるために生きてるのよ。誰かに、勇気をもらいながら。

最初に読んだ時からビビッときました。誰かに生きる勇気を与えるために生きている。自分自身も同じように他の誰かから生きる勇気をもらいながら。

お読みいただいている皆さんは、このセリフに何か感じるところはありますか?

僕はこれを読んで、あぁそうか、人は一人で生きているんじゃない。だから自分の中に生きる意味を見いだそうとしていたことが間違っていたんだ。そう思いました。

もちろんその時々なりに夢とか目標とかが自分の中にあって、それは確かに毎日を生きる上での道標ではありました。

ただ、そこに生きる意味を感じていたかというとそうではなくて。むしろ自分本位の自分中心マックスな夢を追いかけている日々は、充実しているようでどこか同時に虚しさを抱えていました。

相手が居るということ

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繰り返しになりますが、この言葉から僕が感じ取ったのは、生きるということには「相手」が居るということ。相手が居てくれてはじめて、僕は今日を生きることができるということです。

24年間という長いようで短い人生を振り返ってみると、落ち込んだこともあったし、悩んだ時、くじけそうになった時、道を踏み外しそうになった時がありました。

そんな時、いつも誰かが手を差し伸べてくれたり、強く優しく励ましてくれました。

人の助け、愛情があったからこそ今僕はこうして楽しく生活することができています。

僕に誰かのピンチを救えるだけの力があるのか分からないけど、もしもこんな僕でも誰かの力になれるなら喜んでなりたいと思える経験ばかりです。こうやって、人は誰かに助けられ、その分、他の誰かの力になることで生きていくんだなって。

それこそ先に書いた宇宙兄弟のセリフのように、恩送りをしながら生きていくんだなと。

自分のためだけでなく、誰かの今日のために生きる。そう思うとなんだか確かに生きる勇気が湧いてきたりしませんか?

「誰かのため」ってのは大そうなことじゃなくていい

で、この「誰かのために」という言葉。これがまた難しいですよね。社会貢献!とか地域を良くする!とかそういう大きな規模の話である必要は全くないと思います。

そういうことではなくて、今日も元気に挨拶ができた。とか「ありがとう」って伝えられたとか。小さいことで良い、相手の心にそっと寄り添えたならそれで十分なんだと思います。

気にかける。そして一言相手に届ける。これだけで人はとても勇気をもらえるんだなと、自分自身の体験談からそう思います。

今日こんなTweetを見かけたのですが、まさにそう。

こういう日常の小さなところに「相手」がいてくれるだけで人は勇気をもらえる。

このTweetでいう「仲間」のような、そんな誰かにとってのあたたかい存在になれたら。それほどの生きる意味はないんだなって。

小さなことで良い、身の回りの一人一人の人、一つ一つの瞬間にもっと寄り添って行きたい。心を通わせて人と触れ合いたい。ほんのちょっと今日も誰かに喜んでもらえるように生きる。

『「寒いね」と 話しかければ 「寒いね」と 答える人の いるあたたかさ (俵 万智)』という詩がありますが、この心の触れ合いの中にある小さなぬくもりこそが人が人として生きる意味であり、また、明日も懸命に生きるためのエネルギーを充電する方法なのではないだろうか、なんてことを思うのでした。

生きる意味についてでした。

以上、24歳にして思う生きる意味『人は誰かに生きる勇気を与えるために生きている』についてでした。

ふと思ったことを書きなぐる形になり、まとまりがなくすみません。

最後にあと少し書かせていただくと、人間だけらしいんです。

人が喜ぶ姿を見て自分も幸せを感じられる生き物というのって。

それって素敵だし、まさに生きる意味だなぁなんて思いませんか?

誰かの喜ぶ顔を見たい。それが今日を生きる原動力であり、力の源なんだなって。

ということで明日から早速、ほんのちょっとしたことでいいので、関わる人の笑顔を想像して行動してみてはいかがでしょうか。

そういう姿勢の細部に愛が宿り、その愛は周りの人から跳ね返って自分に返ってくるのだと思います。

そうやって、支え合うことが生きる意味であり、生きがいなのかもしれません。

拙い文章を最後までお読みいただきありがとうございました。それでは、これにて締めとさせていただきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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この記事を書いた人
MIYALOG編集部

こころの元気をチャージする。20代のジレンマに立ち向かう、元気が出るライフハックブログ『MIYALOG』の編集部です。現在、ライター様、寄稿ライター様を募集しています。

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